ジャマイカ学

by ジャマイカの風

Takahiro  Sawada

澤田高宏

Culture & History

歴史は繰り返す

  • 中学・高校の社会科歴史の授業で、1494年6月7日にポルトガル・スペイン間で結ばれたトリデシリャス条約を習った覚えがない。 グリーンランド、ブラジルを結び領土分割線とし、インドを目指して航海を競い合い、ポルトガルは東回りでスペインは西回りで地球争奪競争をしたのである。 彼らが何を目指し、発見し、何をしてきたのか皆の知るところではあるが、ローマ教皇の文書にある異教徒の原住民に対する残忍な措置を許し、キリスト教徒にとって正当戦争の思想上の根拠は何であったのだろうか。

 

  • 高瀬弘一郎氏の『キリシタン時代の研究』は、従来の教会版キリシタン史を排し、膨大な量の宣教師の政治的原文書にまで遡ってポルトガル人とスペイン人の国家意識を暴いたものである。 武力占拠や奴隷化の正当の根拠として、イスラムから領土を取り返すため、各地に派遣された宣教師に従わないため、野蛮な悪習を持つ原住民を服従させるためとある。 神に名のもとに何をしても許されるという思想だ。 現在でも、どんな悪いことをしても、神の前で祈り聖書を読むことで悪行が洗浄されると説いている。

 

  • さて、ジャマイカである。 かの有名なコロンブスがジャマイカに営業に来る。 ジャマイカ発見ではない。 DICOVERY BAY着である。 すでに何百年も前から住んでいる原住民にとって、菓子折りでなくスペイン国王の勅令なんぞは意味を成さない。 ふたこと目にはスペイン国王って結構上から目線でえらそうだから、手足を縛って豚の丸焼き状態にしてやったのだ。 小さいときから縄抜けは得意で何とか逃れられ、生き延びた数人の船員たちと脱出したのがRUNNAWAY BAYである。 コロンブスは1506年5月にスペインで死去するが、親父の遺志を受け継いだディエゴが1520年代に再営業に来るのである。 親父の仇だと張り切って略奪と殺戮を繰り返し、スペイン人が入植して作った町が今のSPANISH TOWN。 ジャマイカ人は”スペイン”と呼ぶ。

 

  • インド、セイロンからのお茶や香辛料がビッグビジネスだったように、カリブ海は砂糖がそれであった。 原住民を奴隷化し無茶したことで絶滅したため、労働力を補うためにアフリカ人強制連行奴隷化が何百年何世代も続いたのである。 1838年8月1日、ジャマイカで奴隷解放の宣言がなされる。 おまえらは今日から自由なのだと言われて出て行ったとしても、やっぱりご主人様の所に戻っていくのである。 悲しいかな何百年何世代も受け継がれてきた奴隷文化が現在も消えることはないのである。 農業、家政婦、ウェイター、コックなどは奴隷の仕事という意識がまだ奥深くにある。